★ スキー遍歴 ★

技術でお悩みの方の気が晴れれば、と思います。
 ●
楽しかったこと つまらなかったことためになったこと、
 ●スキーライフと、心の内の変遷を明かします。
 


スキー歴は、16年です。一年の平均滑走日数は20日程度でしょう。
大きく分けて、3つの時期がありました。

ひたすら滑る時期
狂ったように滑る、滑る、滑る・・・
技術志向の時期
上達しないことに、イライラしていた。
楽しく滑れれば満足の時期
ケガをしないことが第一です。
’85年(23才)〜’89年(27才) ’90年(28才)〜’96年(34才) ’97年(35才)〜現在(43才)



以下に、年を追ってスキー歴を紹介します。

その年の流行や傾向は、あくまで私見ですので、ご了承ください。
文章は全体的に、「独り言調」 で書いてありますが、気に障る表現がありましたらご容赦ください。

スキーを始めて2回目にて
(転倒の瞬間)

’85年 (昭和60年)
23才
●就職(外資系コンピュータメーカに勤める)
社会人になって初めてスキーを始める。
 
自分の自由になるお金で、スキー用具一式、
9万円で購入。
●スキーは年に4回行っただけ。
最初は転んでばかりで、つまらなかった。
 ところが2回目に、滑る快感のとりこになる

★滑走日数 5日
この頃の傾向

★ウェアは地味な単色のものが多く、
赤が入っているだけで、かなり派手に
見られる。

この年の流行

★映画「私をスキーに連れて行って」 の影響か、道路もリフトも混んでいた。

★ウェアはワンピースが流行。
●年10回行くことを目標にする。
この頃はグループで行動していた。
●スキーシーズンは1月〜3月までだと思っていた。

★滑走日数 15日
学生時代のスキー同窓会
(大人になっても子供だ)

’86年 (昭和61年)
24才

スキー同窓会

’87年 (昭和62年)
25才
●この頃から、他人と一緒では滑り足らず、
一人で行くことが多くなる。
(ただし、同窓会だけは例外)

★滑走日数 15日

’88年 (昭和63年)
26才
●12月初旬〜4月上旬までが、
私のスキーシーズンになった。

★滑走日数 20日を初めて突破
の年の出来事

★カルガリー
オリンピック開催

この年の出来事

★技術選のビデオでは、

渡辺一樹デモの同時操作
渡辺三郎デモの踏み換え操作が対比されていた。

★スキー場で昭和天皇、
崩御
のニュースを聞く。
ゲレンデには、ずっと、
クラシック音楽がかかっていた。
●毎週スキーに行くことを目標にして、ひたすら滑っていた。
傍からみると、キチガイのようであったろう。
疲れを知らず
朝一からナイターのリフトが止まる
まで狂ったように滑っていた (実際、狂っていた。)
●折から、スキーブームでもあり、リフトも混んでいて、いくら滑っても、もの足りず、欲求不満が溜まる。

★滑走日数 22日

’89年 (昭和64年=平成元年)
27才

転職(小さなソフトハウスに就職)
神奈川県大磯町から群馬県高崎市に移る。これで、上越地区のスキー場に近くなったと喜ぶ。
転職の最大の理由は、「スキーがしたいだった。

●12月に退職して、4月に次の会社へ入社の計画を立て、1〜3月は、まるまるスキーに浸る。
(残業してお金を貯めておきました。これを "生活残業" といいます。)

この年の出来事

★技術選で佐藤譲デモが優勝。
しかし、
コブの無い急ヴェは、つまらなかった。

★このシーズンも雪不足だった。
せっかく、会社を辞めてまでスキーに集中したのに
八海山スキースクールの宿泊
ペンションにて



’90年 (平成2年)
28才
初めてスキースクールの3日間コースに入る。 (世に言う、浦佐の特講。)

●基礎スキーヤーには、浦佐派、岩岳派、八方派などがいるが、私のまわりには浦佐の信奉者が多かった。
●初めに指摘されたポイントは、「内足で立つ」だった。(いわゆる同時操作のこと。)

ビデオレッスンで、初めて自分の滑りを見た。
あまりのヘタさに愕然とし、
から血の気が引いていくのが、自分でもわかる。
ビデオルームから出てきたときは、フラフラしていたのを記憶している。
スキーのターンの考え方が、根本的に変わった。
力で回すのではなく、重力を利用してターンを始動することを、初めて知る。

★滑走日数 41日 (最高記録)

この頃の傾向 ●仕事で、某電力会社のコンピュータルームにカンヅメとなり、徹夜したが、翌日は予約したスキースクールなので、「これで帰ります。」と言ってサッサと引き上げる。

●年20日以上行くことをノルマとする。
 (まるで仕事のように。)

●八海山のスキースクールのおかげで、コブが、やっとまともに
滑れるようになりました。
ありがとうございます。

★滑走日数 21日
八海山スキースクール
(講習中に記念写真)

’91年 (平成3年)
29才
★この頃、よく受けた指導は、
上体を谷側へ先行動作させる」、「上下動を大きく使い、抜重して」というもの。
今から思えば、上体の振り込み、内倒の練習をしていたようなものだ。

ウェアはコンペモデルが流行。
ワンピースなどほとんど、化石だ。
ヘタでもみんなデモパンをはいた。

’92年 (平成4年)
30才
再び転職(埼玉県の某電機メーカ)

●スクールで某元デモに教わる。
上下動を使わず、ターン前半から雪面をとらえるという、この当時としては先進的な指導を受けた。
この先生に、「教える方法論も年々変わるから、あまりそれにとらわれない方がいい」 といわれた。

●2級合格。
2回目の受験にして;意外だった。
シュテムで71点を稼いで、他をカバーし、ギリギリ合格。

★滑走日数 30日
この年の出来事

★アルベールビル
 オリンピック開催

’93年 (平成5年)
31才
●スキースクールの班分けで、念願の1斑に入れた。
しかし他の生徒は準指、テクニカル所持者で、レベルが高く、一人だけ置き去りにされた感じがした。
おまけに、先生が恐かった。
講習中に、ゲレンデ中に響く声で ちがーうとよくどなられた

●この時期、毎週スキーに行かないとヘタになってしまう 
という 迫 観 念 のようなものがあった。

●このシーズンは、なんだか、スキーがつまらなかった
1級のバッチテストで、「横滑り」 がストレスの原因だったように思う。

滑走日数 33日
この年の出来事

★この年がバッチテストの種目変更の年だったと思う。

★私の好きな
「ゲレシュプ」がなくなり
退屈な「横滑り」が導入された。

’94年 (平成6年)
32才
バッチテストを受けるのをやめた。
1級をとらずにやめるのは、なんだか途中で投げ出すみたいな気もしたが、わざわざ、お金を払ってまで、ストレスを受けることもないのではと思う。

●趣向を変えて、4月に奥只見丸山の大回転レースに参加。本格的なレースを初めて経験。

●1本目は何がなんだかわからないまま、辛うじて完走したが、2本目は恐怖心から腰が引け、転倒して途中棄権。
コース途中の審判は、「登って旗門を通り直せ」 と指示したが、それはムリというものです

この滑走中に、「骨折でもしたら、会社に何て言おう.」 という考えが頭をよぎる
  スキーも、守りに入ったものだなぁ・・・。

●このシーズンは、何かと体力の衰えを感じた。
30才過ぎてもこんなに滑っているのは、学生時代の仲間でも、オレぐらいだ。

★滑走日数 19日

この年の出来事

★リレハンメル
 オリンピック開催


前の会社の同僚と、
(雪とたわむれるの図)

’95年 (平成7年)
33才
●体力低下を補うため、トレーニングジムとテニススクールに入る。

●この歳になると、独りで滑るのは寂しかったのか、ワザワザ、前の会社の同僚にまぜてもらっていた。
たまには大勢で行くのも楽しい。

★滑走日数 19日


’96年 (平成8年)
34才
●12月と4月の奥只見丸山のスキースクールは、今では、年中行事のようになっている。

どうも、寒さが身にしみる。
トップシーズンの1月、2月はあまり行きたくないと感じる。
道は混むし、ボーダーは・・・。
●そのかわり、4月〜5月上旬まで滑るようになる。
(ビールもうまいし。)

★滑走日数 14日 少しパワーダウンした。
★この頃から、
スノーボーダーが急増。

’97年 (平成9年)
35才
●スクールで女性の先生に教わる。
初めは、「初心者じゃあるまいし、イヤだなぁ」 と思っていたが、明るくて楽しい先生だった。
後で知ったが、技術選でかなり上位の人でした。

●技術が伸び悩んでいた頃だったが、なにか吹っ切れた気がした。

★滑走日数 12日
’98年 (平成10年)

36才

●会社の同僚で、スノボに熱心な人がいたので、いっしょにスキー場に行った。
初めてハーフパイプを間近で見たが
思っていたより厳しそうだ。
こんなところを自爆しながら滑り、歩いて登って、を一日中繰り返しているとは
驚きを通り越して、尊敬に値する。

●これの何が楽しいのか、と思うが、以前の私もコブの中を自爆しながら滑っていたものなぁ・・・。
ボーダーも滑ることが好きな連中なんだ、あまり毛ぎらいいするのはよそう、と鷹揚にかまえるようになる。

★滑走日数 13日
この年の出来事

★長野オリンピック 開催

この年の傾向

★ゲレンデのモーグル人口が急に増えてきた。
(里谷、上村両選手の影響か?)

それとともに、コブの形も変わり、丸い山状のものから、階段状になってきた。

★今年、ほとんどがカービングスキーになった。
この年の秋だったかな?検定種目がカービングスキーに合わせて変更。
●カービングスキー買おうかなぁ、と迷う。
でも、用具を代えただけで上手くなるなら、誰も苦労しないよなぁ。

●スキースクールの受講者も少なくなった。
そのかわり、班分けがすぐに終わっていい。

●数年前は、「何が何でも1班に入りたい」 と思っていたが、このごろはそういうストレスは感じない。
ケガをしないように、楽しく滑れれば満足だ
●ボーダといっしょに、オフピステを滑る。
(もちろん、ゲレンデ内です。)

★滑走日数 15日
カービングスキー前の
ショートターン
(エッジが流れて腰が外れている)

’99年 (平成11年)
37才

カービングスキー後のショートターン

’00年 (平成12年)
38才
●迷っていたカービングスキーをやっと買う。
思っていたより、扱いやすい。
なんと言っても、
ターン前半
(谷まわり)で、板が勝手に雪面に食い込む。

もっと早く買えば良かったよ。

★滑走日数 19日 (少し復活)
この年の傾向

★ワールドカップでは、
回転で168cmの板が登場。
ショートスキー革命といわれる。

’01年 (平成13年)
39才

●2001シーズンの活動は、こちらをクリックしてください。

★滑走日数 18日 (仕事が忙しかった割にはよく行った)
2001年は、雪がたくさん降りました。
5月まで充分雪が残っていました。


’01年〜’02年
40才
●2002シーズンの活動は、こちらをクリックしてください。

★滑走日数 19日 (まぁまぁの日数を確保)
この年の出来事

★ソルトレイク・シティ
オリンピック開催


’02年〜’03年
41才

●2003シーズンの活動は、こちらをクリックしてください。

★滑走日数 15日 (少なめのシーズンでした)


’03年〜’04年
42才

●2004シーズンの活動は、こちらをクリックしてください。

★滑走日数 19日 (よくやっている方だ)


’04年〜’05年
43才

●2005シーズンの活動は、トップページから見てください。

★滑走日数 29日 (今シーズンは充実していた)

 数年ぶりに白馬方面にも行ったし、月山にもいったし、
 1級も取れたし。 精神的にも充実したシーズンでした。






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