★ 2023シーズン イン 前 の 活動 ★
日 付 | 2022年 11月 19〜22日 (土〜火曜) |
場 所 | 天 童 |
・12月 1日 … 将棋対局を追記。 ・12月 7日 … 山寺について追記。 (少しづつ 追記してきましたが、今回のアップで 一応終了と します。 |
“スキー友の会” の Hさん と “天童将棋ツアー” に 行ってきましたので、その報告をします。 ●数年前から Hさんと 話しだけは していたものの なかなか実現しなかった “天童将棋ツアー” に ついに 行ってきました。 2012年頃の 北志賀よませ の 「スキー友の会」 で 将棋の話題が出て以来、 “いつか 天童に 将棋観光 に 行きましょう” と 話していましたが なかなか 実現できずにいました。 あれから 数えてみると 約十年になりますが、やっと 実現しました。 ●天気は、おおむね 上々でした。 20日(日)の夜から 21日(月)の朝にかけて 雨でしたが、 昼前には 晴れてきました。 この他の日は、一日中晴れでした。 気温も この時期にしては 高めで、 4日間とも 日中の最高気温は 19℃〜20℃くらいで どちらかというと 暖かかったです。 ●夕食は、天童の街中で 1日目は 焼肉、 2日目は 寿司屋、 3日目は 居酒屋 です。 夕食時は 食べることばかり 考えていて お店の写真も、料理の写真も 撮るのを 忘れていました。 チョット、失敗。 ●朝食は、ホテルで バイキングです。 ホテル側も コロナの影響で、しばらく バイキングを やっていなかったのですが、 コロナの波が 落ち着いている、ということで 復活したようです。 朝食では、朝から 山形牛のステーキを 食べてしまいました。 この4日間は、普段では ありえない程、肉 を食べましたね。 帰ったら 少し粗食に しなくちゃ、 ●宿泊地は 「天童ホテル」 です。 19日(土曜)から22日(火曜)まで 3泊4日で、朝食のみの宿泊とし、 夕食は 天童市内の お店を 物色して食べることにしました。 このケースだと 本来の料金は ・ 19日(土曜) … 1万3,200円 ・ 20日(日曜) … 1万1,000円 ・ 21日(月曜) … 1万1,000円 となり、 合計で 3万5,200円 となります。 今回は 政府の コロナ復興事業の一環で、「全国旅行支援事業」 というのを利用し 1万4,080円 が 割引されます。(40%引き) さらに 3泊分の クーポン券 が 7,000円 付きます。 結局、3泊で 2万1,080円 お得 ということになります。 (別の見方をすれば、1泊 4,700円程度で 泊まれた、ということです。) それにしても、1泊夕食抜きで 1万円のホテルなど めったに泊まらない、 というか、もう一生で これっきりかもしれません。 |
●正しくは 宝珠山 立石寺 というのだそうです。 観光ガイドなどには、「山形に観光でお越しの際は 外せない観光スポットの一つ」 と 書いてあります。 …… そうだったのか、迂闊だったなぁ、、 観光の詳細は Hさん にお任せだったので、よく調べてなかったのが 良くなかったな。 「天台宗に属し、創建は 貞観二年(860年)」 とあります。 1200年近く前なんですね。 ●コース(といっては何ですが) 登山口 − 根本中堂 −芭蕉像 −宝物殿 −山門 − みせ塚− 仁王門− −奥之院 − 三重の小塔−開山堂、納経堂 − 五大堂 ゆっくり歩いて(登って)1時間弱 くらいみたいです。 石段が 全部で 1015段 ですって。 ●ちなみに、私の実家の お墓は 山の中腹にあって、石段が100段あるのですが、 最近は そこを登るのさえ 大変になってきました。 五大堂に 行き着くには、あの10倍も 登らなければならない となると 目眩がしてきます。 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 芭蕉が、元禄二年(1689年)に ここで詠んだ句です。 芭蕉って 元禄時代の人だったんですね。 没年は 元禄七年なので 赤穂浪士の討ち入りの前に 亡くなっています。 |
●ものの本によると、15世紀から 江戸初期まで 銀山として 栄えたところです。 銀山の閉山後も 湯治場として栄え、大正末期から 昭和初期にかけて 建てられた 洋風木造多層の 旅館が 立ち並ぶ 温泉街です。 ●NHKの 朝のドラマ 「おしん」 の舞台にも なったのだそうです。 私は よく見てなかったので 知らないのですが、 もしかしたら、母親役の 泉ピン子さんが 杓子かなんかで 働いていた所かな? 間違ってるかもしれませんが。 ●天童から 銀山温泉までは 国道13号を 北上しますが、 その後の県道には 2通りあります。 1.県道29号 コース この道は、冬季通行止めになる 幅の狭い山道で、 ガイドブックには 「車の通行には 不向き」 と書いてあります。 行きは よく調べないで行ったので、運転者のHさん には大変でした。 Hさん、ご苦労様でした。 2.県道301号 コース この道は、山を迂回するので 遠回りですが、 幅も広く、自分で行くなら この道を選びます。 |
最終日を除く3日間で 5局指しました。 内容を簡単に 書いておくことにします。 将棋など知らない、という方にとっては 何の意味もない文章になりますが、 興味の無い方は 読み飛ばしてくださいませ。 今まで Hさん とは スキーで ご一緒した折りに 10局くらい 指していると思います。 最初の頃は 私が 勝っていましたが、そのうち負けが混んできたような気がします。 今までの対局では、「相矢倉模様」 か、「私の雁木」 対 「Hさんの矢倉」 か、 「私の振り飛車−Hさんの居飛車対抗形」 が多かったですかね。 「H先生の 振り歩先」 で振り駒の結果、Hさんが 先手となり、交互に手番を入れ換えて指します。 ●第1局 (Hさん 先手) 角換わり相腰掛銀。 前々から “角換わりを 指したいな” とは 思っていたのですが、 この戦形は 先手後手(2人)の 意志が一致しないと できませんので “無理かな”、とあきらめていました。 ところが、思いもかけず 意志が一致して この戦形になってしまいました。 しかも、私が後手ですので、生意気にも プロを真似して、後手から 角を交換する 「一手損角換わり」 です。 「角換わり」 といっても、戦法は他にも 「棒銀」、「早繰り銀」 などもあるので 先後同形の 「相腰掛銀」 になるとは、自分で指しておきながら、ちょっと驚きです。 しかも しかも、プロでも 流行の “中住まい玉形” です。 Hさん、準備してましたね。 まさか この形になるとは 予想だに してませんでした。 もっと 勉強しておけば良かったよ、、 定跡を よく知らないまま、私の方が 先に桂馬を跳ねて 開戦した後、 少し駒得して、有利に進めたのですが、どこかで間違えて 逆転され 負けました。 最後は Hさんの 「と金」 と 「頭金」 で詰まされるという、屈辱的な 投了図です。 ‥‥ 夢に 出てきそうだよ、、 ●第2局 (私 先手) 横歩取り。 これも初めて指す戦形です。 私が先手だったので、意図すれば これを避けることも できたのですが、 「▲7六歩、△3四歩」 と お互いに角道を開けた後、「▲2六歩、△8四歩、▲2五歩、△8五歩」 と、 吸い込まれるように 「横歩取り」 の形に なってしまいました。 ‥‥ こんなつもりは無かったのに ‥‥‥、、 私が 「▲3四飛」 と 横歩を取ったところで、「△8八角成〜△2五角」 となりました。 これは、将棋入門書に 出てくる手順で、「序盤は 飛車より角」 とか 「飛車の打ち込み場所が無い」 などの 理由で、「▲3二飛成」 と “飛車金交換” をすれば 先手有利に なるはず。。 なのですが、この後の手順を 知らなくて、というか 勉強していなくて (したとしても 忘れていて) わけのわからない 乱戦になって、私が どこかで Hさんを 誤魔化して 勝ちました。 「横歩取り」 は、よく勉強してないと 指せない戦形なので、普通は指さないのですが Hさんが 意図してるなら、それを避けるのも 失礼かな、と思い 指しました。 たまたま 勝って良かった。 これで 1勝1敗の タイに なりました。 ●第3局 (Hさん 先手) 相居飛車。 これの詳細は、実はよく 覚えていないんですよね。 後で Hさん に電話で聞いたら 相居飛車 だったようですが、 記憶に無いので すいませんが、詳細は 省略します。 いずれにしろ、私が 負けたのですがね。 ●第4局 (私 先手) 相振り飛車。 なんと、これも 初めての戦形です! この前日、 「今回の対戦では、角換わり と 横歩取り を指しましたね。 これで、あと指してない形は 相振り飛車 だけですよ。」 と話していました。 Hさん 曰く 「振り飛車は 指さない」ということだったので、 “じゃ、今回は 私が振り飛車にしよう” と 思っていたのですが、 なんと Hさんに 先に 「△3二飛」 と 振られてしまいました。 “えっ! 俺が 三間飛車に しようと思ってたのに‥‥、話が違うじゃないか!” 後で Hさんに聞いたら、 “相振り飛車を指してない、という話が出たので 指してみた” ということでした。 まっ、それはともかく、喫緊の課題は “飛車を どこに振るか?” です。 ・ 中飛車は、金が左右に 分裂しやすいので ヤダな‥‥、 ・ 四間飛車は、なんとなく スピード感が無くて 指したくないな‥‥、 ・ 三間飛車は、マネしてるようで ヤダな‥‥、 ・ 向かい飛車は なんだか よくわからない‥‥、 で 結局 、飛車先の 歩が 交換しやすい 三間飛車に しました。 Hさんは 美濃囲いです。 私は 美濃囲いが キライなので、振り飛車でも この囲いにしません。 (だって、美濃囲いは 王様の横 が “銀” なので、すぐ 詰まされてしまう気がして。) 途中の局面を 下に 2枚載せておきます。 左は 戦端を 開いた瞬間。 右は それから少し進んで 終盤の入口あたり です。 この後、後手玉に 入玉されそうになりましたが、最後は 駒得に モノを言わせて 私の 勝ちと なりました。 これで 2勝 2敗の タイです。 |
●第5局 (Hさん 先手) 相居飛車。 今回は 今までで一番 指し慣れた 相居飛車。 局面の写真は 撮っていませんが、実は 密かに狙っていた作戦です。 Hさんは 居飛車の場合、「矢倉早囲い」 にすることが 多く、今回も その形になったので、 その対策として、こちらは 角道を開けたままで、「カニ囲い」 から 「腰掛銀〜急戦」 を 仕掛けました。 言ってはなんですが、私の陣形は、数年前の NHK杯将棋トーナメントで 藤井四段(当時)が 森内九段(十八世名人資格者)に 勝った将棋です。 うまくいけば、飛車、角、銀、桂の 理想的な攻撃で、Hさん玉 を直撃できるので 私の 圧勝になるはず ‥‥‥ だったのですが。 私の 「4八金、2九飛車」 の形と、「4五銀」 の形が悪く、Hさんから 「十字飛車」 を決められて 金銀両取りが かかってしまい、もう この時点で 投げやりに なってしまいました。 結局、最後は 指しようがなくなり、詰みの形になる前に 私が 投了しました。 おそらく 今までの 十数局の対戦で、一番 不出来な将棋でした。 トホホ、、 本当は、“銀損” を甘受してでも もっと我慢強く 指すべきだったかもしれません。 しかしながら、ついさっきまで 必勝だと 思っていたのが、一気に逆転されたので 精神的なダメージが 大きかったのです。 この 第5局は 今回の 将棋ツアーの最後の対局 だったこともあり 勝ちたかったので、必勝を期していたのですが、つまらない将棋にしてしまい、 Hさんにも 申し訳ないことをしました。 ●どうもですねぇー、今回の全5局とも、序盤〜中盤くらいは 私が 駒得などで 有利に進めるのですが 中盤の終わり〜終盤で 逆転されるケースが 多くて、イヤになります。 それでも (第5局は別としても) 一手争いの熱戦が多くて、非常に楽しい ひと時でした。 天童に 3泊もした甲斐が あったというものです。 |
時刻 | AM 6:00 | AM 6:45 | AM 7:55 | PM 8:40 |
地点
走行距離 |
深谷 発 →
0km |
太田桐生 IC →
22km |
矢板 IC →
105km |
大田原 着
121km |
備 考 | 9℃ | 北関東道 − 東北道 渋滞なし。 |
14℃ | |
高速代 2,390円(ETC) |
時刻 | AM 8:50 | AM 10:15 | AM 11:55 | PM 12:30 |
地点
走行距離 |
大田原 発 →
0km |
西那須野塩原 → 福島 JCT →
|
天童 IC →
|
天童 着
250km くらいかな? |
備 考 | 東北道 − 東北中央道 渋滞なし。 |
|||
高速代 4,500円くらいかな?(ETC) |
時刻 | AM 9:30 | PM 1:30 | ||
地点
走行距離 |
天童 発 →
0km |
天童 IC → 山形 JCT →
|
村田 JCT → 西那須野塩原 IC →
|
大田原 着
250km くらいかな? |
備 考 | 山形道 − 東北道 渋滞なし。 |
|||
高速代 4,500円くらいかな?(ETC) |
時刻 | PM 1:45 | PM 2:25 | PM 3:30 | PM 4:30 | |
地点
走行距離 |
大田原 発 →
0km |
矢板 IC → 16km |
太田桐生 IC →
99km |
深谷 着
121km |
|
備 考 | 19℃ | 東北道 − 北関東道 高速は渋滞なし、 太田市内で渋滞。 |
18℃ | ||
高速代 2,390円(ETC) |
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