今回紹介するのは、次の映画です |
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・ゴジラ (1954) および ・モスラ 対 ゴジラ (1964年) |
「映画についての私見」 の記念すべき第一回は、もう これしか考えられません。 「ゴジラ」 です。 おぉー! なにが “おぉー” なんだかわかりませんが。 ●公開された年 ●1954年は、太平洋戦争の敗戦から9年後。 第五福竜丸の被ばくの年。 経済白書で 「もはや戦後ではない」 と記述される2年前。 ●ゴジラが通った後の街は、東京大空襲の焼け跡そのものでした。 迫りくるゴジラの前で、母親が小さい子を抱きかかえて言います。 「もうすぐ お父ちゃんのところへ行けるからね。」 お父ちゃんは戦争で死んだのでしょうか。 まだ戦後は続いていたのです。 ●アメリカの似たようなモンスター映画 「原子怪獣現る」 は1953年公開、 「放射能X」 は1954年公開です。 ●あらすじ 最初から書くのも大変ですので、ラスト間際から書きます。 大砲も、高圧電流も、戦車も、ロケット弾も、通常兵器の通じないゴジラに対して、 芹沢博士の発明した “オキシジェン・デストロイヤー” という 超兵器が使用されることになる。 芹沢博士は当初、この兵器を使うことに反対していた。 ゴジラを倒すという大義名分があるにせよ、もし一度でもこの兵器が使われれば、 必ず、二度、三度と繰り返し使われることになるであろう。 それは科学者として、発明者として 許すことはできない、という理由からだ。 しかし、ゴジラによる惨劇を目の当たりにして、ついに、この兵器を使うことを決断する。 決断とともに設計図は全て焼き捨てる。 二度と誰も造ることができないようにするためだ。 芹沢博士は自ら海に潜り、海底に眠るゴジラの側に、この超兵器を設置する。 同時に、潜水服の命綱を自分の手で切断して、 頭の中にある “オキシジェン・デストロイヤー” の設計図をも 海底に葬りさろうとする。 ゴジラの断末魔とともに芹沢博士も死に、世紀の大怪獣ゴジラと、超兵器の発明者は 運命をともにする。 ●はじめて見たのは ●公開されたのは1954年で、さすがに私は生まれていませんでした。 初めて見たのはテレビです。 小学生の低学年だったと思うのですが、ハッキリとはわかりません。 しかし、あのラストシーンが、なんともいえない重苦しい雰囲気であったことは憶えています。 芹沢博士は、ゴジラを倒した英雄なのに、なにゆえに死ななければならなかったのか。 子供ながらに、理不尽さを感じました。 ●社会人になり、家庭用のビデオデッキを購入したのは、30年くらい前でしょうか。 以来、何度かレンタルで観ていましたが、 この理不尽さを納得できるようになったのは、40代になってからです。 ●あの理不尽さは、いったいなんだったのか、どう納得したのか、を 書いてみたいと思います。 笑いたい人は笑ってください。 ●ゴジラが象徴するものは ●ゴジラについて多少なりとも まともな知識がある人は、 ゴジラが核兵器の、あるいは原子力の 「悪い面」 の象徴だと考えています。 それはそうなのでしょうが、私は 「ゴジラ」 という映画は、もう少し大きな意味で 人類の宿命を描いているように思います。 ●さて、一般的に次のような意見がよく言われます。 科学・技術には良い面と悪い面がある。 科学・技術は使い方によって善くも悪くもなる。 ●あるいは、次のような意見もよく聞きます。 現在の科学・技術は行き過ぎた。 もっと以前の段階で止めておくべきだった。 もっと以前に、つまり、程々に人類にとって有益で、比較的害が少ない時代に 損益分岐点があったはずだ。 「もっと以前」 というのがいつなのかはわかりません。 昭和初期なのか、もう少し後の 「三丁目の夕日」 の頃なのか。 あるいは、江戸時代の 「自然との調和がとれていた」 といわれる時代なのか。 それとも、18世紀の産業革命の頃なのか。 または、ペニシリンが発明されたときか。 ●しかし、私はそうは思いません。 損益分岐点などというものは無く、いつの時代であっても 利益と同じくらいの危険は、同時に存在していたのです。 農耕が発見された時代でも、鉄器が発明された時代でも、原子力が実用化された時代でも 遺伝子組み換えができるようになった時点でも。 このそれぞれについて論じると長くなり過ぎるので省略しますが、 この文章を一笑に付さず、皆様考えて頂ければ幸いです。 ●いつの時代でも、我々は常に危険と隣り合わせで科学・技術を使っている、 という覚悟が必要だと思うのです。 ゴジラは、原子力という希望と同時に現れた、この時代の絶望の一つです。 ●芹沢博士の決断 ●自分の発明品が、二度と兵器として使われないようにするため、 自分の頭の中にだけある設計図を、兵器自身によって葬り去る。 自らの発明品に対する責任の取り方として、また、人類の未来への責任の取り方として 自らの命をかける。 ●科学というのは、人類に課せられた十字架のようなものです。 「失楽園」 の時代、 「パンドラの箱」 の時代、「フランケンシュタイン」 の時代から いつの時代でも科学によって、希望と絶望を同時に背負っています。 損益分岐点などは無いのです。 十字架は背負っていかなければなりません。 放り出すわけにはいかないのです。 これからも続くであろう科学との戦い、 科学の恩恵と危険を同時に背負って、種として生存していく覚悟。 芹沢博士は自ら十字架を背負って、未来のために犠牲になってくれたのです。 ●昨今の原発再稼働の議論ですが、 原発推進派のあなた、事故が起きたとき、自らの身を捨てて事故を収拾する覚悟がありますか? (身を守る覚悟ではありませんよ。) 原発反対派のあなた、今の快適さを捨てて、不便な暮らしに耐える覚悟がありますか? これは、どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらの道を選ぶにしても覚悟が要るということです。 覚悟をもって、よく議論し考え、決めていかなければなりません。 もっと言えば、どちらの道を選んでも、希望と絶望は同じようにあるのです。 ●ゴジラ と オキシジェン・デストロイヤー は、「科学・原子力の光と影」 などという 陳腐なものではなく、人類の宿命です。 過去もあったし、未来にもあり続けるものです。 宿命とともに生きるには、命をかける覚悟が必要です。 芹沢博士は、この覚悟を見せてくれました。 「ゴジラ」 は単なる核兵器批判などという底の浅いものではないのです。 ●ハリウッド製 「ゴジラ」 について ●ハリウッドでも、お金儲けのために 「ゴジラ」 が制作されました。 1度目は1998年、2度目は今年・2014年です。 前のページの 「はじめに」 で 「嫌いな映画の悪口は書かないつもり」 としましたが やはり書かざるを得ません。 ●1998年製のは 「お調子者」 の映画です。 ニューヨーク市長も、出世願望のキャスターも、フランス情報部の工作員も 皆、お調子者でした。 日本の映画に対する冒涜以外の何物でもありません。 具体的に指摘するとキリがないのでやめますけど。 2014年製のは、前のに比べれば多少はマシですが 「結局、最後は核兵器で片づけよう」 というアメリカ根性丸出しの映画でした。 まぁ、批判はこの辺でやめておきましょうね。 自分の人格まで貶めることになるので。 ●ゴジラの遠い記憶 ●おそらく私が、3才くらいのときでしょう。 初めて映画館で見た映画であろう 「モスラ 対 ゴジラ」 (1964年)の記憶です。 映画を見終って、家に帰って来てから、父親にたずねました。 “ゴジラはあの後、どうなったの?” 父の答え、 “ゴジラは最後に、やられちゃっただろ” 対する私の、驚くべき反論、 “それは、映画の中の話でしょ” 「あの後」 とは、「映画が終わった後」 という意味であり、 つまり、映画という虚構の世界とは別に、現実にゴジラが平穏に生活している場所があると思って このような質問をしたわけです。 ●なんと当時、私は、体長50mで、口から火を吐くゴジラなる生物が実在していて、 映画の撮影が終わった後は、どこかで普通に暮らしていると思っていたのです。 普通って??? 例えば、ゾウやキリンが普段は動物園にいて、映画の撮影のときだけ駆り出されて、 撮影が終わると、元通り、動物園で暮らしているのと同じように ゴジラもそうしていると思っていたようです。 3才くらいの子供には、ゴジラに破壊されるビルも、戦車も、高圧電流の鉄塔も ミニチュアとは思えず、必然的にゴジラもそのくらいの大きさがあるものと 認識していたのでした。 ●中学、高校、大学、社会人となっていく過程で、この記憶は常にありました。 半世紀も前のこの記憶。 トンチンカンというか、幼稚というか、現実と空想の区別がつかないというか‥‥‥。 それでも実は、私は、かくなる記憶があることを密かに自慢したい気持ちがあるのを ここに告白します。 人と飲んで映画の話をしているときに、このことを話すと意外と面白がってくれるんです。 呆れてるだけかもしれませんけど。 ●ゴジラ、最後の悪役 ●「モスラ 対 ゴジラ」 は、ゴジラが悪役だった最後の映画です。 この後の 「三大怪獣 地球最大の決戦」 からゴジラは人間の味方になります。 もっとも、平成版ゴジラシリーズといわれるものでは、再び人間の敵になるわけですが、 このシリーズについては勘定に入れません。 ●インファント島の人達の叱責 ●ゴジラに蹂躙される日本を救うために、宝田明さん、星由里子さん、小泉博さんの3人が インファント島へ赴き、「モスラにゴジラと戦って欲しい」 と頼みます。 インファント島は、かつては楽園でしたが、原爆実験のため今は見る影もないほど 荒れ果てています。 ●島民の長老が3人に こう言います。 「悪魔の火 炊いたのは誰だ、神も許さぬ火 炊いたのは誰だ」 また、小美人(ザ・ピーナッツ)にも、こう言われます。 「力を貸すことはできません。 私達は、あなた達の世界が信用できないのです。」 ●日本は今、集団的自衛権の解釈で揉めていますが、 戦後70年間、平和だったのはアメリカの核の傘のおかげ、というのは 免れません。 インファント島の人達の叱責の前に、私はただ小さくなるしかありませんでした。 ●ラストの宝田明さんのセリフ ●それでも、星由里子さんの 「心の叫び」 で、モスラは力を貸してくれました。 インファント島から わざわざ日本人を救うため、ゴジラと戦うためにやって来たのです。 しかしながら、既に寿命が近く、ゴジラにやられてしまいました。 そのあと、卵からかえった双子の幼虫モスラが、 ゴジラを糸でグルグル巻きにして 海に沈めて勝利します。 幼虫モスラは、ザ・ピーナッツを乗せてインファント島へと帰って行きます。 モスラの後ろ姿を、崖の上から見送る一同です。 藤木悠さんが 「あの人達に お礼くらい言わなくちゃ」 と言うのに対する宝田明さんの、最後のセリフです。 「平和な世界をつくることが、あの人達へのお礼だよ。」 残念ながら現在の世界は、インファント島の皆様へのお礼とするには程遠いものです。 50年前のこのセリフ。 製作者・俳優の皆様は、このセリフに一体どんな思いを込めていたのでしょうか。 それを思うにつけ、一見陳腐にも思える このセリフが妙に胸に迫るのです。 |
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