映画への誘い
または 映画についての私見

(2014年 12月 20日)


あらすじ紹介やラストシーンの
私的見解がありますのでご注意ください。
 今回紹介するのは、次の映画です
 ・ゴジラ (1954) 
  および
 ・モスラ 対 ゴジラ (1964年)





 「映画についての私見」 の記念すべき第一回は、もう これしか考えられません。

 
「ゴジラ」 です。 おぉー

 なにが “おぉー” なんだかわかりませんが。


●公開された年

●1954年は、太平洋戦争の敗戦から9年後。
  第五福竜丸の被ばくの年。
  経済白書で 「もはや戦後ではない」 と記述される2年前。

●ゴジラが通った後の街は、東京大空襲の焼け跡そのものでした。

  迫りくるゴジラの前で、母親が小さい子を抱きかかえて言います。
   「もうすぐ お父ちゃんのところへ行けるからね。」

  お父ちゃんは戦争で死んだのでしょうか。
  まだ戦後は続いていたのです。

●アメリカの似たようなモンスター映画 「原子怪獣現る」 は1953年公開、
  「放射能X」 は1954年公開です。



あらすじ

 最初から書くのも大変ですので、ラスト間際から書きます。

   大砲も、高圧電流も、戦車も、ロケット弾も、通常兵器の通じないゴジラに対して、
   芹沢博士の発明した “オキシジェン・デストロイヤー” という
   超兵器が使用されることになる。

   芹沢博士は当初、この兵器を使うことに反対していた。
   ゴジラを倒すという大義名分があるにせよ、もし一度でもこの兵器が使われれば、
   必ず、二度、三度と繰り返し使われることになるであろう。 それは科学者として、発明者として
   許すことはできない、という理由からだ。
 
   しかし、ゴジラによる惨劇を目の当たりにして、ついに、この兵器を使うことを決断する。
   決断とともに設計図は全て焼き捨てる。 二度と誰も造ることができないようにするためだ。

   芹沢博士は自ら海に潜り、海底に眠るゴジラの側に、この超兵器を設置する。
   同時に、潜水服の命綱を自分の手で切断して、
   頭の中にある “オキシジェン・デストロイヤー” の設計図をも
   海底に葬りさろうとする。

   ゴジラの断末魔とともに芹沢博士も死に、世紀の大怪獣ゴジラと、超兵器の発明者は
   運命をともにする。




●はじめて見たのは

●公開されたのは1954年で、さすがに私は生まれていませんでした。
  初めて見たのはテレビです。
  小学生の低学年だったと思うのですが、ハッキリとはわかりません。
  しかし、あのラストシーンが、なんともいえない重苦しい雰囲気であったことは憶えています。

  芹沢博士は、ゴジラを倒した英雄なのに、なにゆえに死ななければならなかったのか。

  子供ながらに、理不尽さを感じました。

●社会人になり、家庭用のビデオデッキを購入したのは、30年くらい前でしょうか。
  以来、何度かレンタルで観ていましたが、
  この理不尽さを納得できるようになったのは、40代になってからです。

●あの理不尽さは、いったいなんだったのか、どう納得したのか、を
  書いてみたいと思います。
  笑いたい人は笑ってください。




●ゴジラが象徴するものは

●ゴジラについて多少なりとも まともな知識がある人は、
  ゴジラが核兵器の、あるいは原子力の 「悪い面」 の象徴だと考えています。
  それはそうなのでしょうが、私は 「ゴジラ」 という映画は、もう少し大きな意味で
  人類の宿命を描いているように思います。

●さて、一般的に次のような意見がよく言われます。

    科学・技術には良い面と悪い面がある。
    科学・技術は使い方によって善くも悪くもなる。

●あるいは、次のような意見もよく聞きます。

    現在の科学・技術は行き過ぎた。 もっと以前の段階で止めておくべきだった。
    もっと以前に、つまり、程々に人類にとって有益で、比較的害が少ない時代に
    損益分岐点があったはずだ。


  「もっと以前」 というのがいつなのかはわかりません。
  昭和初期なのか、もう少し後の 「三丁目の夕日」 の頃なのか。
  あるいは、江戸時代の 「自然との調和がとれていた」 といわれる時代なのか。
  それとも、18世紀の産業革命の頃なのか。
  または、ペニシリンが発明されたときか。

●しかし、私はそうは思いません。
  損益分岐点などというものは無く、いつの時代であっても
  利益と同じくらいの危険は、同時に存在していたのです。

  農耕が発見された時代でも、鉄器が発明された時代でも、原子力が実用化された時代でも
  遺伝子組み換えができるようになった時点でも。
   このそれぞれについて論じると長くなり過ぎるので省略しますが、
    この文章を一笑に付さず、皆様考えて頂ければ幸いです。


●いつの時代でも、我々は常に危険と隣り合わせで科学・技術を使っている、
  という覚悟が必要だと思うのです。

  ゴジラは、原子力という希望と同時に現れた、この時代の絶望の一つです。




●芹沢博士の決断

自分の発明品が、二度と兵器として使われないようにするため、
  自分の頭の中にだけある設計図を、兵器自身によって葬り去る。

  自らの発明品に対する責任の取り方として、また、人類の未来への責任の取り方として
  自らの命をかける。


科学というのは、人類に課せられた十字架のようなものです。
  「失楽園」 の時代、 「パンドラの箱」 の時代、「フランケンシュタイン」 の時代から
  いつの時代でも科学によって、希望と絶望を同時に背負っています。


  損益分岐点などは無いのです。
  十字架は背負っていかなければなりません。 放り出すわけにはいかないのです。



  これからも続くであろう科学との戦い、
  科学の恩恵と危険を同時に背負って、種として生存していく覚悟。
  芹沢博士は自ら十字架を背負って、未来のために犠牲になってくれたのです。



●昨今の原発再稼働の議論ですが、
  原発推進派のあなた、事故が起きたとき、自らの身を捨てて事故を収拾する覚悟がありますか?
   (身を守る覚悟ではありませんよ。)
  原発反対派のあなた、今の快適さを捨てて、不便な暮らしに耐える覚悟がありますか?

  これは、どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらの道を選ぶにしても覚悟が要るということです。
  覚悟をもって、よく議論し考え、決めていかなければなりません。
  もっと言えば、どちらの道を選んでも、希望と絶望は同じようにあるのです。


●ゴジラ と オキシジェン・デストロイヤー は、「科学・原子力の光と影」 などという
  陳腐なものではなく、人類の宿命です。
  過去もあったし、未来にもあり続けるものです。

  宿命とともに生きるには、命をかける覚悟が必要です。
  芹沢博士は、この覚悟を見せてくれました。

  「ゴジラ」 は単なる核兵器批判などという底の浅いものではないのです。




●ハリウッド製 「ゴジラ」 について

●ハリウッドでも、お金儲けのために 「ゴジラ」 が制作されました。
  1度目は1998年、2度目は今年・2014年です。

  前のページの 「はじめに」 で 「嫌いな映画の悪口は書かないつもり」 としましたが
  やはり書かざるを得ません。

●1998年製のは 「お調子者」 の映画です。
  ニューヨーク市長も、出世願望のキャスターも、フランス情報部の工作員も
  皆、お調子者でした。
  日本の映画に対する冒涜以外の何物でもありません。
  具体的に指摘するとキリがないのでやめますけど。

  2014年製のは、前のに比べれば多少はマシですが
  「結局、最後は核兵器で片づけよう」 というアメリカ根性丸出しの映画でした。

  まぁ、批判はこの辺でやめておきましょうね。
  自分の人格まで貶めることになるので。




●ゴジラの遠い記憶

●おそらく私が、3才くらいのときでしょう。
 初めて映画館で見た映画であろう 「モスラ 対 ゴジラ」 (1964年)の記憶です。

 映画を見終って、家に帰って来てから、父親にたずねました。
  “ゴジラはあの後、どうなったの?”

 父の答え、
  “ゴジラは最後に、やられちゃっただろ”

 対する私の、驚くべき反論、
  “それは、映画の中の話でしょ”

 「あの後」 とは、「映画が終わった後」 という意味であり、
 つまり、映画という虚構の世界とは別に、現実にゴジラが平穏に生活している場所があると思って
 このような質問をしたわけです。

●なんと当時、私は、体長50mで、口から火を吐くゴジラなる生物が実在していて、
  映画の撮影が終わった後は、どこかで普通に暮らしていると思っていたのです。
  普通って???

  例えば、ゾウやキリンが普段は動物園にいて、映画の撮影のときだけ駆り出されて、
  撮影が終わると、元通り、動物園で暮らしているのと同じように
  ゴジラもそうしていると思っていたようです。

  3才くらいの子供には、ゴジラに破壊されるビルも、戦車も、高圧電流の鉄塔も
  ミニチュアとは思えず、必然的にゴジラもそのくらいの大きさがあるものと
  認識していたのでした。

●中学、高校、大学、社会人となっていく過程で、この記憶は常にありました。
  半世紀も前のこの記憶。
  トンチンカンというか、幼稚というか、現実と空想の区別がつかないというか‥‥‥。
  それでも実は、私は、かくなる記憶があることを密かに自慢したい気持ちがあるのを
  ここに告白します。

  人と飲んで映画の話をしているときに、このことを話すと意外と面白がってくれるんです。
  呆れてるだけかもしれませんけど。




●ゴジラ、最後の悪役

「モスラ 対 ゴジラ」 は、ゴジラが悪役だった最後の映画です。
  この後の 「三大怪獣 地球最大の決戦」 からゴジラは人間の味方になります。
  もっとも、平成版ゴジラシリーズといわれるものでは、再び人間の敵になるわけですが、
  このシリーズについては勘定に入れません。



●インファント島の人達の叱責

●ゴジラに蹂躙される日本を救うために、宝田明さん、星由里子さん、小泉博さんの3人が
  インファント島へ赴き、「モスラにゴジラと戦って欲しい」 と頼みます。

  インファント島は、かつては楽園でしたが、原爆実験のため今は見る影もないほど
  荒れ果てています。

●島民の長老が3人に こう言います。
   「悪魔の火 炊いたのは誰だ、神も許さぬ火 炊いたのは誰だ」

  また、小美人(ザ・ピーナッツ)にも、こう言われます。
   「力を貸すことはできません。
    私達は、あなた達の世界が信用できないのです。」

●日本は今、集団的自衛権の解釈で揉めていますが、
  戦後70年間、平和だったのはアメリカの核の傘のおかげ、というのは
  免れません。

  インファント島の人達の叱責の前に、私はただ小さくなるしかありませんでした。




●ラストの宝田明さんのセリフ

●それでも、星由里子さんの 「心の叫び」 で、モスラは力を貸してくれました。
  インファント島から わざわざ日本人を救うため、ゴジラと戦うためにやって来たのです。
  しかしながら、既に寿命が近く、ゴジラにやられてしまいました。
  そのあと、卵からかえった双子の幼虫モスラが、
  ゴジラを糸でグルグル巻きにして 海に沈めて勝利します。
  幼虫モスラは、ザ・ピーナッツを乗せてインファント島へと帰って行きます。

  モスラの後ろ姿を、崖の上から見送る一同です。
  藤木悠さんが
   「あの人達に お礼くらい言わなくちゃ」
  と言うのに対する宝田明さんの、最後のセリフです。

   「平和な世界をつくることが、あの人達へのお礼だよ。」

  残念ながら現在の世界は、インファント島の皆様へのお礼とするには程遠いものです。

  50年前のこのセリフ。
  製作者・俳優の皆様は、このセリフに一体どんな思いを込めていたのでしょうか。
  それを思うにつけ、一見陳腐にも思える このセリフが妙に胸に迫るのです。





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