映画への誘い
または 映画についての私見

(2015年 1月 16日)


あらすじ紹介やラストシーンの
私的見解がありますのでご注意ください。
 今回紹介するのは、次の映画です
 ・破れ太鼓 (1949年)




 破れ太鼓 (1949年)

基本データ

  ・監督 : 木下恵介
  ・俳優 : 阪東妻三郎、村瀬幸子、森雅之、木下忠司、小林トシ子、宇野重吉、



  これも古い映画ですが、主役の阪東さんの回想シーンはコミカルではあるものの
  いつの時代でもある日本の貧しさと繁栄の断面だと思います。





あらすじ

●阪東妻三郎は、土建業会社の社長で、妻(村瀬幸子)と6人の子供がいるが、
  家では専制君主の暴君のように振る舞っている。
  家族が暮らしていけるのは、自分のおかげであり、妻も子供も自分に絶対服従するのが
  あたりまえだと思っている。

●一方、子供たちはそれぞれの考えを持っているが、恐ろしい父親には逆らえず、
  日々、戦々恐々としている。

  しかし、遂に長男(森雅之)が父親から独立して、オルゴール制作・販売の会社を始めるといい、
  家から出ていく。
  「弟たちのためにも、このままじゃいけないと思う。」 という言葉を残して。

●実は阪東の会社は倒産しそうなのだが、資金繰りのために、長女を政略結婚させようとする。
  しかし長女(小林トシ子)には、画家(宇野重吉)の恋人がいるので、
  父の思い通りには結婚などしない。

  人を人とも思わぬ阪東の態度に、妻、三男、次女、四男も愛想を尽かして家を出てしまうが、
  次男(木下忠司)だけは父の元に残る。

●会社は倒産し、家族も失った阪東は、好物のカレーライスを食べつつ
  次男がピアノを弾いて歌うのを聞きながら自分の来し方を振り返る。

  裸一貫から会社を興し、苦労の末、財産を築いたものの、今はもう何も無いことに
  思い至ると逆上し、カレーライスを叩き付けるが、
  このとき、今まで何を考えているのかわからなかったような次男から、
  思いもかけず、家族や人生のあり方を教えられる。


●一方、件(くだん)のオルゴール会社は、順調ではあるものの、経理畑の専門家がいないため
  会社経営として、何がどうなっているのかわからない、という状況だった。
  そこで、父親の阪東を会社に引き入れ経営を任せることにする。

  長女の恋人の画家は、オルゴールのデザインを担当し、
  次男がオルゴールの曲を作る、ということで一家は再びまとまり大団円。

  ラストでは、阪東が、ともすれば、かつてのように皆を一喝しそうになるが、
  自ら気づいて穏やかに収める。




作られた年(昭和24年)と、現在(平成27年)の違い

●この映画は、やはり私が二十才の頃、NHK日本名作劇場というような枠で放送されたと
  思います。
  なんだか、ドタバタした喜劇だなぁ、と思ったものです。

  あらすじだけをみれば、他愛のない映画ということになるでしょう。
  実際、そういう意図で作られたのかもしれません。

  なんといっても、戦後4年目の映画です。
  社会的に強く何かを主張するどころではないでしょうし、
  観客も難しい作品を観るような心境ではなかったようにも思えます。


●しかし、戦後70年目に生きている私には、そんなに単純には考えられません。
  製作者の意図がどうであるかとは関係なく、やはり私なりの感じ方をしてしまうのです。
  別に、ひねくれて解釈したり、構えて大げさに考えたりするのではなく、
  自然に思ってしまうので、どうしようもありません。


回想シーンから

最も惹かれるのは、会社も家族も失った阪東妻三郎さんが来し方を振り返るシーンです。
  阪東さんはションボリしてソファーに掛けて、好物のカレーライスを食べています。

  映画の中で年が明示されることはないので、正確にはわかりませんが
  公開が1949年(昭和24年)なので、昭和の初め頃からの回想シーンと思われます。

  回想シーン −その1−
    阪東さんは、すり切れた草履を履いて、傘を背中に掛けて、
    風呂敷包みを2,3個手に持っています。
    線路の脇道を歩いていますが、汽車がホコリを巻き上げて走り去るのをみて
    疲労でその場にへたり込みます。
    あまりにも惨めです。 私はこのシーンだけで胸が詰まります。

  回想シーン −その2−
    阪東さんが大勢の人夫たちに追いかけ回されています。
    お腹が空いて何かを盗んで食べたのではないか、と推察されます。
    袋叩きに近い。


  回想シーン −その3−
    大混乱の食堂のシーン。 
    人夫たちが酒をあおって、食堂の女性の給仕にちょっかいを出しています。
    阪東さんは、カレーライスを食べています。 うまそうです。 幸せそうです。
    それくらいのお金は稼げるようになったようです。
    しかし・・・・、ゴキブリが入っていました。
    それをつまんで捨てると、なにくそという表情になって、それでもカレーライスを食べ続けます。
    コミカルな演出ですが、それが返って悲惨で、もはや言葉もありません。


  回想シーン −その4−
    一転して、阪東さんは現場監督のような仕事についています。 出世したみたいです。
    場所は、東北か北海道でしょうか。 雪の中、大ぜいの人夫が森林を伐採しています。
    阪東さんは一段高い所に立って、大きな身振り・手振りで四方八方に大声で指示を出しています。

  回想シーンはここで終わり、感極まったのか、ソファーから立ち上がり
  手にしていたカレーライスを床に叩きつけ、叫びます。




  これからの阪東さんの言葉と、次男の言葉がこの映画のキモです。
  一年ほど前に観たので、残念ながら、正確に記述することはできませんが
  4、5回観たので、可能な限り再現してみます。 概ね次のようなやりとりでした。


暴君親父の主張 (ほとんど絶叫)

  「どいつもこいつも、俺が一番悪いみたいに言いやがって。
   みんなで俺の会社を潰してしまいやがった。」

  「お前らは、俺に殴られたかもしれんが、
   俺だってどれだけ他人に殴られてきたか しれやしないんだ。」

  「それをこの歳になって、今度はお前らからも殴られて、みんな威張って出ていきやがった。」

  「オイ、お前、俺とあいつら
(妻と他の子供たち)と、どっちが悪いと思うんだ。」


次男の答え (穏やかに諭す感じ)

  「どっちも悪くないんです。」

  「家族といっても、結局は他人です。
   それぞれの生き方があるんです。」

  
ここで阪東さん反論 : 「じゃー、親でもない子でもないというのか。」

  再び次男:
  「そうじゃありません。 家族はやっぱり家族です。
   最も親しい間柄だから、最も楽しい自由がなければなりません。
   そうして、なんとなく愛し合っているんです。」

  「僕はお父さんが怖いけど、なんとなく好きです。
   お父さんも、生活能力の無い僕に腹が立つでしょうが、なんとなく好きだろうと思います。」

  阪東さん再び反論 : 「バカヤロー、子供のことを何となく好きなんていう親がいるかぁい。
                一番好きに決まってるぅ。」


  「じゃあ何も問題ないじゃありませんか。
   お父さんには子供が6人もいるんだから、毎日一人づつ可愛がったって、
   月曜から土曜までかかります。
   そうして、日曜にはお母さんと、過ぎた日の苦労を語るんです。
   それが苦難の人生を歩んだ人の楽しい老後というものですよ。」

  「会社が潰れたってどうってことありません。
   お父さんはやるだけの事をやってきたんですから、
   立派な人生ですよ。」





「破れ太鼓」の現代的解釈

●私には、どうにも不思議なのですが、1949年(昭和24年)というと、まだ闇市の時代じゃないかと
  思うのです。
  調べると、「1949年にGHQから闇市の撤廃命令が出される」 とあります。
  まだ占領下で、やっぱり世の中は闇市で回っていた時代のようです。

  ちなみに美空ひばりさんの 「悲しき口笛」 も1949年発売だそうです。
  同じ題名の映画は、戦災浮浪児の世界を描いていました。

  阪東さんの邸宅は、かなり豪邸ですし、
   「破れ太鼓」 は一般庶民の生活からはかなりかけ離れたものであるような気もします。
  正確なところは生きていた人に聞かなければわかりませんが。


●しかし、私が本当に不思議と感じるのはこの点ではなく、阪東さんの回想シーンが
  まるで戦後から現代にいたる過程のようだということです。

  映画の製作年からして、昭和初期から終戦四年後までを描いているはずですが
  そっくりそのまま、終戦の年から現代と置き換えてもあまり違和感が無いように感じます。

●阪東さんが立ち上げた建設会社に比べれば、長男のオルゴール会社などおもちゃですが、
  現代日本の産業がこうした精密な技術を必要とする分野に支えられていることは
  なんだか暗示的です。

  非常に穿った見方、または深読みをすれば、闇市の時代を超えて後世にも通じるような
  寓話を描いたのではないか、そんな風にも思います。

  もちろん、木下監督にそんなつもりはないのでしょう。
  ですが、この映画を戦後70年にして観ると、そんな風に感じます。

   ちなみに 「深読み」 とは 「深く考察すること」 ではありません。
   どちらかというと、「憶測する、邪推する」 という意味で
   昨今の 「ニュース深読み」 などは誤った使い方だと思いますが。



回想シーンへの個人的想い

●上記の “回想シーン −その1−” で、
  阪東さんが、
重い荷物を持ったまま疲労でへたり込む というシーンですが
  私の父親も終戦当時20才くらいでしたので、おそらくこのような時期があったのではないかと
  推察します。
 
  今日の私があるのは、このような時代を生きた人のおかげだ、ということを想うと
  決して映画の中だけの話ではなく、今につながっているのだと。

  私は、あの一見コミカルなシーンを見ると胸が詰まってしまいます。




その他の出演者

●若い画家役の宇野重吉さん(1914年生まれ)、このとき35才。
  びっくりするくらい若い。
  宇野重吉さんって、若い頃もあったんですね。

●宇野さんの父親役は滝沢修さん(1906年生まれ)、このとき43才。
    「黒部の太陽」 では電力会社の社長役。
    「座頭市と用心棒」 では金に憑りつかれたヤクザの親分役。
  しかし、この映画では浮世離れした芸術家です。
  初めは誰が演じているのか全くわからなかったよ。

●次女役の桂木洋子さん、カワイ〜イ。
  思わず他の出演作を調べて観てしまいました。
    黒澤明監督 「醜聞(スキャンダル)」 では病気がちな薄幸の少女役。
     三船敏郎さんのセリフによると 「お星さまのような子」 の役柄でした。

●阪東妻三郎さんと滝沢修さんは 「王将」 という映画でも共演していて
  阪東さんは阪田三吉役、滝沢さんは関根(十三世名人)役でした。
  なんか、おもしろい。





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