今回紹介するのは、次の映画です | |
・失はれた地平線 (1937) |
失はれた地平線 (1937年) アメリカ映画 ●基本データ ・監督 : フランク・キャプラ ・出演者は省略します。 日本映画が3回続きましたので、外国映画の紹介です。 私の知る限り、最も志の高い映画です。 ●はじめに ●監督はフランク・キャプラ。 「スミス都へ行く」(1939年)、 「素晴らしき哉、人生」(1946年) などの監督です。 厳しい現実を見つめつつも、暖かなヒューマニズムに溢れた作品です。 まぁ、好き嫌いはあるでしょうが。 ●原作は小説で、ジェームズ・ヒルトン作(1933年)。 私は小説を読んでいませんが、小説と映画は、多少状況設定と人物設定が異なるようです。 現在では、理想郷とほぼ同義語で使われる “シャングリラ” という名称は この小説で初めて使われたそうです。 ●制作された1937年前後は概ね次のような時代です。 ・1931年、満州事変。 ・1937年、ドイツがスペインの都市ゲルニカを空爆。 (ピカソが「ゲルニカ」を描く。) ・1939年、ノモンハン事件。 ・1939年、ドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発。 ・1941年、真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発。 ヨーロッパでも東アジアでも中央アジアでも太平洋でも戦争という時代です。 ●あらすじ ●ときは、日本軍が中国進行を始めた時代、 イギリス外交官のコンウェイは、混乱した中国から数人のイギリス人と共に 飛行機で脱出する。 しかし、飛行機は見知らぬパイロットに操縦されていて、チベット方面へ飛んでいき 雪山に墜落してしまう。 人跡未踏の地で遭難かと思ったら、中国人のような救援隊が来て、ラマ教の僧院へ 案内される。 ●この僧院は、周りの雪の世界からは高い山で隔絶されていて、温暖な気候を保ち 農作物も豊富に採れる。 また、金を産出するので外界の世界との物々交換によって 様々な書物、芸術作品、調度品も揃っている。 コンウェイ一行は、「この地は シャングリラ といいます」 と聞かされる。 そして、外界の世界との唯一のつながりは、長い年月をおいて来るシェルパだけだと言われる。 ●ここでは、年をとるのが非常にゆっくりで、最高指導者の高僧は年齢が200才を超えているようだ。 さらに人々は皆、温厚で節度を持ち、程々に幸せであるという。 コンウェイは初めからこの環境を好ましく感じていた。 他のイギリス人も、初めは猜疑心を持ち、悲観にくれていたのだが、 この地に来てから時間が経過するにつれ、次第に心の平穏を得ていく。 ただ一人の例外、ジョージ(コンウェイの弟)を除いて。 ●さて、コンウェイは高僧との会見で次のように思いを託される。 「現在の世界は欲望と武力で満ちていて、早晩滅びてしまうだろう。 そのとき、世界を新たに導くことがシャングリラの存在理由だ。 そして君こそが、シャングリラの次の指導者だ。」 ●一方、ジョージはシャングリラの環境に馴染めず、どうしてもイギリスに帰りたいと言い、 シャングリラで知り合ったマリアという女性を連れて、シェルパの一行とここを出て行くという。 (マリアは一見20才くらいだが、実際は相当な老齢である。マリア本人はそのことを認めず20才くらいだと思っている。) 一度はこの地に永住する決心をしたコンウェイだったが、弟の説得を拒否しきれず 理想郷に後ろ髪を引かれながらも共にイギリスに帰る道を選ぶ。 ●ところが、シェルパ達は雪崩で全滅してしまう。 さらにマリアもシャングリラを出たために、本来の年齢相応の老婆の姿になってしまい 息を引き取る。ジョージは、この現実を受け入れきれず、半狂乱になって崖から転落してしまう。 今や一人きりとなったコンウェイは、雪原をさまよい、クレバスに墜ちかかりながらも 命からがら麓の山村にたどり着く。 ●コンウェイはイギリスに送還されることになったが、理想郷への想い絶ち難く逃走する。 物資を盗んで逮捕され、また脱獄を繰り返し 遂に捜索隊を振り切って、チベット奥地へと彷徨していく。 果たしてコンウェイはシャングリラへたどり着けるだろうか。 ちなみに小説のラストシーンは映画とはだいぶ違うそうです。 ●格調高い題名 ●英語の原題は “ Lost Horizon ” です。 なんと格調高い題名でしょう! 最近の映画にはこのような題名はみられなくなりました。 そもそも最近の映画には、品格、格調、理想などというものは無くなってしまいました。 無論、私は最近の映画を全て見ているわけではないので、この発言は 「最近の大作は……」、あるいは 「最近のロードショー公開される映画には……」 と 言い直さなくてはならないかもしれませんが。 ●ファンタジー映画ともいえるが ●ところで映画史上最高傑作は? 「戦艦ポチョムキン」(1925年・ソビエト) でしょうか。 「天井桟敷の人々」(1945年・フランス) でしょうか。 「市民ケーン」(1941年・アメリカ) でしょうか。 いずれも傑作の名に相応しいと思いますが、「最高」の地位は評論家諸兄にまかせるとして 一映画ファンの私はあえて 「失はれた地平線」 をあげたい。 ●たしかに、雪に覆われたチベット奥地に温帯気候があり、都合よく金が出る、などというのは 現実離れしていて、今の感覚でいうなら 「ファンタジー映画」 でしょう。 しかしながら、この映画が作られたのが上記のような20世紀最大の戦争の真っただ中で あったことを思えば、軍国主義の渦中にありながらあえて「節度」や「友愛」を訴えたことは、 勇気ある行為と考えます。 ウィキペデキアによると、この映画のある上映時には戦争批判のシーンがカットされたそうです。 それだけ戦争遂行する権力者からは嫌われていたということですが、 これこそ芸術にとっては誇りです。 ●シャングリラの真髄 ●シャングリラの真の価値は、「外界と隔絶された温暖な気候」 や 「金が出る」 ことでは ありません。 ラマ僧が説くところによれば、次のような精神を重んじていることです。 「節度と友愛を持ち、程々に幸せであることに満足する。」 「少しの思いやりで双方が幸せになれるのです。」 「行き過ぎを慎むことが大事で、美徳それ自体も行き過ぎは禁物です。」 ●ものの本によりますと、ここで描かれているのは、「中庸の精神」 なのだそうです。 中国の哲学で、正確に記述することは私の力量の及ぶところではありませんが、 手元の辞書によると 「過不足がなく、極端に走らないこと」 なのだそうです。 「足るを知る」 ということでもありましょうが、これは非常に難しいことです。 お酒は1日2合までと決めてるけど、つい3合以上飲み過ぎてしまうんですよねー って、そんな次元の低い話じゃないだろ。 ●「キリスト教合理主義が破たんしつつある現在……」 と書こうとしましたが 大風呂敷を広げると私の文章が破たんしてしまいそうなので、止めておきます。 ●意外と喜劇チックな登場人物 ●登場人物について書きます。 皆さん、どことなく憎めない人達です。 一人ジョージを除いては。 ●コンウェイ : イギリスの外交官 この映画の主人公。 混乱した中国から多くのイギリス人を本国に帰すために力を尽くします。 イギリスに帰れば外務大臣のイスが待っている。 しかし本人は、そんな地位を嫌悪している節があります。 飛行機の中で酔っ払って次のように、弟ジョージにクダをまきます。 「俺は外務大臣になったら武器を捨てて、敵に対して手を振ろう。 そうすれば敵も “自分達が間違っていた、こちらも武器を捨てよう” と考えるさ。 そして世界は平和になり、俺は精神病院へ送られる。」 この冗談、こういうのをブラック・ユーモア、または自虐的というのです。 ブラック・ユーモアというのは、決してユーモアではなく、 自虐的というのは、決してゴールデンタイムの笑いのネタになるようなものではありません。 弟ジョージにはこのジョークの意味が理解できないようでした。 ●ラビット : 考古学者 混乱からの脱出時には、中国奥地で何とかいう化石を見つけたと言って 「これでサーの称号がもらえる」 と意気込んでいました。 シャングリラに着いた当初は、死刑にされるのではないかとビクビクしていて 鏡に映った自分の姿を見てさえ悲鳴をあげている始末です。 ところがしばらく経つと、気候や人々やワインが気に入って 「シャングリラ 〜♪、シャングリラ 〜♪ ……」 と鼻歌を歌ってご機嫌になってしまいます。 最後は、「良くしてもらったお礼に、子供たちに地質学を教えよう」 と教師の仕事をかって出ます。 ●バーナード : 配管工 この人はラビットのことをからかって面白がり、少々性格の悪い奴だと思われました。 案の定、会社を立ち上げたものの、倒産させて出資者に損害を負わせたため 刑事責任を問われて警察に追われている、という身の上です。 当初は 「この谷には金が出る。これで儲けよう」 と相変わらずの業突く張りでした。 ところがしばらく経つと、「ここに水道管をひけば、井戸水を使うよりずっと良い。」 と 配管工の腕を生かした仕事を始めます。 「金なんか誰も盗みやしないさ」 とは本人の言です。 ところでラビットとバーナードの凸凹コンビは 「珍道中シリーズ」 (1940年〜1960年くらい・アメリカ)や 「隠し砦の三悪人」 (1958年・日本)の藤原釜足さんと千秋実さんのコンビの原型みたい。 ●グロリア 病気で医者からは、あと半年の命と宣告されてから既に一年が経つという身の上です。 シャングリラに着いた当初は 「どうせ死ぬのだから放っておいてよ」 と自暴自棄で 話になりませんでした。 ところがしばらく経つと気分も落ち着き、ケバケバしかったお化粧も落として すっかり綺麗で、素直な女性になりました。 ●ソンドラ : シャングリラの教師 コンウェイと恋仲になる女性です。 この人は初めからシャングリラの住人なので、いつも穏やかで朗らかです。 特に記したいのは、コンウェイを最初に誘うシーン。 乗馬したままコンウェイを見下ろすようにして、「フン」 という感じで加速して通り過ぎます。 「ついてらっしゃい」、あるいは 「ついて来られるかしら」 というやや高慢な感じ。 それでも嫌味な雰囲気がなく、どちらかといえば可愛らしい。 優雅な、洗練された、といった物腰です。 この女優さんは ビゼー・ジェーン・ワイアット という方です。 昔の女優さん、マレーネ・ディートリッヒ、イングリッド・バーグマン、グレース・ケリー、ビビアン・リー、 にはこういう雰囲気がありましたねー。 私の言いたいことはお分かりかと思いますが、「今の女優にはこういう人はいません。」 ●ジョージ : コンウェイの弟 問題児ジョージです。 シャングリラの気候や住人は、外界の人達のすさんだ心を優しく癒してくれましたが ジョージだけには効き目がありませんでした。 あくまでイギリスに帰ると言い張り、あげくには 「こんな所、爆撃してやりたい」 と 非人道的なことを平気で言う男です。 それが何故なのかは明確には示されていません。 私なりに解釈するしかないのですが、大した解釈のしようもなく ただ生まれつき、節度や友愛や慎みといったことと相入れない人間がいるものなのだ というだけでしょうか? ●イギリス上流階級の会話 ●コンウェイ捜索隊の責任者が、追跡を断念してイギリスに戻り、上流階級の仲間と コンウェイとシャングリラについて論じるシーンがあります。 次の言葉が映画の最後のセリフです。 「不屈の精神を持った男に乾杯しよう。 彼が彼のシャングリラを見つけられるように、 そして、我々がそれぞれのシャングリラを見つけられるように。」 ●余 談 ●この2年後(1939年)は、 「嵐が丘」、「風と共に去りぬ」、「オズの魔法使い」、「駅馬車」、「スミス都へ行く」、 と歴史的傑作がつくられた年で、アメリカ映画史上 「奇跡の年」 と呼ばれています。 その先駆けとなったのが本作ではないか、私はそんな風に考えています。 ●なお、小説では 「失われた地平線」 となっていますが、映画は 「失はれた地平線」 となっています。 「わ」 と 「は」 の違いがあるのですが、この理由はわかりません。 |
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