今回紹介するのは、次の映画です | |
・海底軍艦 (1963年) |
海底軍艦 (1963年) 日本映画 ●基本データ ・監督 : 本多猪四朗 ・出演 : 上原謙 ‥ 楠見 (元海軍少将で神宮司の上官) 田崎潤 ‥ 神宮司 (大佐で海底軍艦の設計者・艦長) 藤山陽子 ‥ 真琴 (神宮司の娘) 小林哲子 ‥ ムウ帝国 皇帝 高島忠夫 ‥ 旗中 ●公開された年 ・高度成長期は1954年から1973年なので、ちょうど成長期の真っただ中で制作された映画です。 ・東京オリンピックの前年。 ・終戦、すなわち敗戦から18年目。 ●あらすじ 俳優名ではなく役名で記述します。 ●楠見は、現在は海運会社の専務だが、太平洋戦争中は海軍少将だった。 秘書の真琴は、かつての部下・神宮司大佐の一人娘で、楠見が育ての親のようである。 神宮司は優秀な潜水艦の設計技師でもあるが、戦争末期に新型艦を建造するために 娘・真琴を楠見に預け消息を絶つ。 ●楠見と真琴は、「ムウ帝国工作員23号」 と名乗る男に拉致されそうになるが、旗中という男に 救われる。 (旗中は写真のモデルに真琴をスカウトしようとしていたが、本筋とは関係ない。) 23号のメッセージによると神宮司は今もって健在で 「海底軍艦」 ともいうべき 高性能潜水艦を建造しているという。 海底軍艦はムウにとっても脅威だったのだ。 そのため、事情を知っていると思われるかつての上官・楠見と娘の真琴を拉致しようとしたのだ。 ●同時に、ムウ帝国から世界各国に向けて世界制覇のメッセージが届く。 「かつて世界はムウ帝国の植民地だった。 ムウ帝国は海底に没したが、今も我々は海底に文明を築いている。 今こそ、世界の民は地上の国全てをムウ帝国に返すのだ。」 国連会議で各国は黙殺したものの、パナマ運河やベニスが壊滅させられたたので対抗策を講じる。 ●世界最高性能の原子力潜水艦が、ムウの潜水艦を捕捉し、追跡するものの深海に誘い込まれ 水圧に耐えかねて圧壊してしまう。 ムウ帝国の科学・武力に、世界各国は無力であることが判明する。 国連は、期待がかけられるのは 「海底軍艦」 だけだとして、日本に出動要請をするが どこで建造されているのか誰にもわからない。 ●そんな折、元海軍兵曹が楠見や真琴たちを神宮司の元に連れていくことになる。 はたせるかな、神宮司は南海の孤島で 「轟天号」 すなわち海底軍艦を建造していた。 しかし親子の対面もそこそこに、神宮司は日本海軍の再建を主張し譲らず 楠見、真琴たちと激しく対立する。 ●ムウ帝国の工作員は孤島の基地にも潜入していて、真琴と旗中をムウ帝国に連れ去ってしまう。 ムウの攻撃は、東京丸の内のビル群を数秒で壊滅させ、東京湾を火の海にする。 そこに海底軍艦が到着する。 神宮司は苦悩の末、真琴や旗中の説得を受け入れ、日本のため、世界のために ムウ帝国撃滅の決断をしたのだった。 ●一方真琴と旗中は、ムウの皇帝を人質にして脱出し、海底軍艦に救助される。 冷線砲で怪竜マンダを倒し、艦首のドリルで地底深くにあるムウの動力源まで進み これを破壊した。 浮上して艦橋からムウ帝国の滅ぶ光景を目にすると、 皇帝は海に飛び込み、濛々と立ち上がる爆炎に向かって泳ぐが、ついに力尽きて沈む。 神宮司、楠見、他一同は一様に沈痛な面持ちでこの様を見つめている。 ●最初に断わっておきますが ●私は特撮ものオタクではありません。 たしかに、ゴジラもウルトラマンも見ますが、 同じように 「東京物語」(1953年)、「七人の侍」(1954年)、「人間の條件」(1959年〜1961年)、 「サウンド オブ ミュージック」(1965年)、「ゴッドファーザー」(1972年)、「許されざる者」(1992年) なども見ます。 文芸作品、時代劇、人間ドラマ、ミュージカル、西部劇、SF、みんな同列です。 それでも、このような古くさい特撮ものをとり上げるのには理由があります。 最初に簡単に言っておくと、戦後日本の在り様が透けて見えるからです。 詳細は以下を参照ください。 ●重苦しいラストシーン ●最初に見たのは10才くらいだったと思いますが、テレビで放送されていました。 子供なので “怪獣が出てくる” という期待で見ました。 しかし、怪獣 “マンダ” は最後の方で数分出てきただけで、あっけなくやっつけられてしまいます。 「えっ、もう終わり‥‥なぁ〜んだ」 という感じです。 あらすじで書いたようにラストシーンが重苦しい雰囲気で、子供が見て 「おもしろい」 と思えるような 映画ではありませんでした。 ●35才くらいでしょうか、レンタル店で見つけて見てみました。 なるほど、こういう話だったのかぁー、と思いましたが、ただそれだけです。 40代後半にして、三度見てみました。 すると、映画の受け取り方がまるで違った。 「ウ〜ン、、、なかなかの映画だ」、「このラストシーン、いいなぁ」 という感じです。 中古のDVD販売でこの作品を売っていたので、思わず買ってしまいました。 ●ラストシーンの詳細 ●ラストシーンについて詳しく書きます。 しかしその前に、映画の冒頭で 元海軍少将の楠見と娘の世代の真琴が、戦争の時代と愛国心について話す場面があり、 若い真琴には、父親の世代の “国のために命を捨てる” という覚悟が理解できない というシーンがあったことを、特に記しておきます。 ●ムウ帝国の皇帝は、初めて神宮司艦長と対面するシーンでは、 海底軍艦に対して降伏を迫り、あくまで強気です。 それが、ムウの動力源が破壊されるのを見るときは、信じられないという表情になります。 さらに、帝国が噴煙に包まれ、最後の望みも潰えたとき、諦めと絶望に支配されます。 しかし突然、意を決して拘束を振りほどくと、艦橋から出て行こうとします。 ●神宮司は、止めようとする部下に 「行かせてやれ、死を覚悟の上だろう。」 と命令して皇帝の意のままにさせます。 一瞬、神宮司を睨みつける皇帝。 それは再び強気の表情になっていました。 皇帝は甲板から海に飛び込み、噴煙に向かって泳ぐも力尽きます。 神宮司大佐と楠見少将は顔を見合わせ、ため息をつきます。 無言です。 少しカメラが引いて、艦橋から主要な登場人物10人程が沈痛な面持ちでこの様を見つめています。 ●ラストシーンの感想 ●このラストシーンの重苦しさはいったいなんなんだ、と子供心に思いましたね。 何故、みんな無言なんだ、と。 悪者が滅びてメデタシ、メデタシじゃないのか、と。 ●現在ではこう思います。 ムウ帝国人といえども人間だ、海底で爆発に巻き込まれて死んでいくのは、あまりに無残。 戦争って恐ろしい。 真琴以下、若い世代はそう感じたのでしょう。 だから喜んだりはしない。 ●問題は、神宮司と楠見です。 二人無言で顔を見合わせるシーンが、非常に印象に残りました。 2秒くらいのシーンなのですが。 太平洋戦争を生きた世代は、死にゆく皇帝の決意と姿を見て、こう思ったのではないか。 「かつては、我々もああだった。」 戦争に命をかけるというのが、どれだけ悲惨なことか。 勝ち負けの問題ではないのだ、と。 ●さらに、私はこう思います。 現在の繁栄した日本があるのは、 ムウ帝国に比べてほんの少し運が良かっただけなのではないか。 (無論、300万人が死んだことを運が良いといっているわけではありません。) 沖縄、広島、長崎、満州、シベリア、南方、国中の都市で 大勢の人が犠牲になったのと引き換えに、かろうじて国が亡びなかったのではないか。 もし、もう少し運が悪かったら ‥‥ ‥‥ ‥‥ アメリカが原爆の大量生産に成功していたら、 ソ連が空母を持っていたら、 ポツダム宣言の受諾を決める閣議で陸軍大臣が辞表を出して内閣が崩壊していたら、 今ある日本にはなっていなかったかもしれない。 もっと具体的にいえば、 もし、米英蘭豪の連合軍が九州や千葉から上陸していたら、 もし、ソ連が北海道に上陸していたら‥‥。 (事実、連合国が日本を分割して統治するという計画があったそうです。) ムウ帝国は昨日の日本の姿ではないか。 紙一重の差で、日本は滅亡しなかっただけなのではないか。 ●私がこのような感想を持つのは、神宮司大佐、楠見少将が 父母より少し上くらいの世代だからかもしれません。 神宮司大佐役の田崎潤さんは、1913年生まれ、 楠見少将役の上原謙さんは、1909年生まれです。 私が10才くらいのときだったと思いますが、父親がふと言ったことがあります。 「バナナなんて、もう食べられないと思っていたけどなぁ」 父母を亡くして十数年になります。 重苦しい感想の次は、 私の得意分野、SF的考察です。 海底軍艦は、地中、海底、空を行く乗り物です。 しかし‥‥、 ●まずは、空飛ぶ自動車の話から ●外国では 「空飛ぶ自動車」 というのは実用化されていて、公道を走り街中を飛んでいます。 皆さん、知っていましたぁ? NHKの教育番組 (今はEテレというんですね) の「地球ドラマチック」 という番組で 紹介されていました。 (海外のテレビ局が制作したドキュメンタリー番組のようなものです。) もっとも、大量生産されて商業レベルで成功しているわけではありません。 しかし、決して金持ちの酔狂な道楽ばかりではありません。、 例えば、ヘリコプターの着陸できない密林にある集落へ医薬品を届けるなど、 必要性もあるのだ、と解説されていまいた。 各国でいろいろなアイデアがあるのですが、例えば翼が脱着可能になっていたりします。 ●当然ながら、自動車と飛行機では求められる技術が根本的に異なるので簡単にはいかない。 自動車は高速で安定走行するためには、地面に張りついていなければならない。 一方、飛行機は空気の抵抗を受けて宙に浮かなければならない。 相反する二つの技術を混在させることが困難だということでした。 言われれば当たり前なのですが、単純なだけにかえって難しい。 ●「空飛ぶ潜水艦」 という発想 ●自動車ですら大変なのですから、空飛ぶ潜水艦など言わずもがな。 しかし日本の特撮ものには、どういうわけか 「空飛ぶ潜水艦」 というモノが頻繁に出てきます。 私の知っているかぎりで次のような作品です。 ・「黄金バット」(1966年) 千葉真一さんが隊長のような役でした。 もうよく覚えていません。 ・「マイティジャック」(1968年) 初めは二谷英明さんがキャプテンでした。 ウルトラマンのイデ隊員役の俳優さんもメンバーでした。 (やっぱり特撮オタクじゃないの?) ・「緯度0大作戦」(1969年) アルファ号という潜水艦が空を飛びます。 艦長は、あの「市民ケーン」 や 「第三の男」 にも出ていたジョゼフ・コットンさんです。 (スゴイけど、なんだかチグハグなキャストです。) ・「宇宙戦艦ヤマト」(1974年) 好きではないのでコメントなし。 ・「ふしぎの海のナディア」(1990年)? 見ていないのでよくわかりませんが、ノーチラス号というのが万能戦艦なのだそうです。 私はこの手のアニメは見ません。 (ウィキペディアで調べると、過去のあらゆる作品からアイデアを寄せ集めているようでした。 M78星雲 などという記述にはたまげましたね。) 多分もっとあるでしょう。 ●対して外国の作品では、 ・「謎の円盤UFO」(1970年頃) 潜水艦の艦首にジェット機が付いていて海の中から空へ飛び出します。 しかし、再び海に潜って潜水艦と合体するシーンは記憶にありません。 ・「海底科学作戦・原子力潜水艦シービュー号」(1965年頃) シービュー号自体は潜水艦に特化していますが 収納されている小型の潜水艇 「フライング・サブ」 が名前通り、 ジェット機のように空を飛んで、海に飛び込み潜水艇になります。 ちょっと違うけど、 ・「スカイ キャプテン」(2004年) プロペラ機のグラマンのような戦闘機が海の中へ突っ込み戦っていました。 しかし、この作品は SF というよりもタチの悪い冗談のような気がして、 蚊帳の外に置いておきましょう。 3つしか思い浮かばず、しかもあからさまに “巨大な戦艦が空を飛ぶ” というのは 見当たりません。 ●こうして見ると、やはり 「空飛ぶ潜水艦」 というのは日本独自の発想のような気がするのですが いかがでしょうか。 私の知らない作品があるかもしれませんが。 ●画期的な造船技術への憧憬 ●日本は海洋国です。 当然、造船技術も高い。 最近、造船量では中国、韓国に抜かれたとはいえ、やはり造船技術の信頼性はトップでしょう。 私は船の素人なので詳しくありませんが、他国に劣るとは思えない。 ●日本国民には、巨大戦艦 「大和」、「武蔵」 を建造したということが、今だに日本人の誇りとして 心の奥底にあるような気がします。 「あんなもの時代遅れの役立たずだった」 と言う人はいますが、 本当に心の底から軽蔑しているようには思えません。 世界をあっと言わせる船を造りたい … せめて架空の物語の中ででも世界を圧倒したい … …、 そういう先進的な技術への憧憬が 「空飛ぶ潜水艦」 を生み続けるのではないでしょうか? ●核兵器によらず、敵を圧倒する超科学兵器 ●海底軍艦の主砲は、艦首にある 「冷線砲」 です。 艦首に付いている巨大なドリルの先端から霧状の液?が出ます。 作品中の説明によれば、「絶対零度、すなわちマイナス273度」 の光線?です。 液体なのか、気体なのか、光線なのか、よくわかりません。 物理学的に絶対零度とは原子の振動が停止している状態なので、 液体や気体であり得るはずがありません。 固まっていて動かないからです。 光線というのは電磁波の一種で、それ自体エネルギーを持っているので これを当てたからといって対象物を凍らせることはできません。 これが超科学たるゆえんです。 ●海底軍艦に限らず、日本のSF では現実には作れない兵器が登場して敵を粉砕します。 ・「ゴジラ」(1954年) ‥ オキシジェン・デストロイヤー ・「宇宙人東京に現る」(1956年)‥ ウリウム101爆弾 ・「地球防衛軍」(1957年) ‥ 電子砲 ・「宇宙大戦争」(1959年) ‥ 熱線砲 ・「宇宙戦艦ヤマト」(1974年) ‥ 波動砲 これらの超科学兵器も、科学・技術立国を標榜している日本の憧憬を表している気がします。 ●また核兵器に対する姿勢ですが、強大なムウ帝国に対して 「道義上からいっても、むやみと水爆を使うわけにはいかない。」 というセリフが出てきます。 また、「地球防衛軍」 には 「ミステリアン(地球侵略する宇宙人)に対して、もし原水爆を使えば、それこそ地球は破滅です。」 というセリフもあります。 ●しかし海外の、特にアメリカ映画ではこのようなことは、まずありません。 強力な敵を倒すために使われるのは、必ず核兵器です。 (結局は無力な場合もあるけど) ・「宇宙戦争」(1953年) ・「インディペンデンス・デイ」(1996年) ・「パシフィック・リム」(2013年) ・「ゴジラ」(2014年) 思い出せないけど、もっとあるでしょう。 SF でも、“隕石衝突もの” や、“地殻変動もの” を加えて、 さらに “テロリストもの” や “犯罪もの” を入れれば数えきれない。 ●いったいにアメリカ映画では平気で核爆弾を使います。 これについて調べると、単に軍事的な意味だけでなく 政治的、宗教的、アメリカ開拓の歴史的な意味などがあるそうです。 単純に “核兵器は良くない物” という日本的な発想にはならないようです。 さらに進んで (というか後退してかもしれないけど)、 “アメリカは核兵器を積極的に使って良い権利を持っている” と信じている人がいるとも聞きます。 日本人の私にはとうてい理解不能の領域です。 ちなみに、イギリス映画に 「怪獣ゴルゴ」(1961年) というのがありますが この中で将軍が 「原爆なんて使えるか。 戦車ならいいけど。」 と言います。 イギリス人はアメリカ人とは若干違うのでしょうか。 もちろんSF映画で国民性を決めつけるほど、私も愚かではないですが。 日本は被爆国として、強い「核兵器廃絶論」があり、 これが超科学・超技術への憧れとゴッチャになって独特の特撮SFが 作られているように思います。 ●特撮監督が円谷さんの映画は、戦争ものなどを含めると多数あり、とても書ききれません。 それでも私は、「ゴジラ」 に次いで、この 「海底軍艦」 が特撮の傑作であると同時に 戦後日本の一端を象徴していると感じます。 今では特撮ものの地位はずいぶんと高くなったようです。 しかし、真に見る価値があるものは多くないでしょう。 詳しく書きませんでしたが、神宮司と楠見・真琴の対立シーンは圧巻でした。 書こうとすると、大変な分量になってしまいそうなので割愛しました。 ●最後に このような特撮ものへの批判、または、ひねくれた愛情表現として 次のような意見があるかもしれません。 ・先端にドリルが付いていて、それを回転させても地中にもぐることはできない。 なぜなら、ドリルが地面に刺さったとたんに、ドリルは固定されて船体の方が回転してしまうからだ。 ・水中では空気が無いからジェット推進は使えない。 ・冷線砲が可能であったとしても、水中で使えば周りの水が凍って航行不能になる。 ・原子力潜水艦が海底で爆発したら、海が汚染されて世界征服どころではない。 ・飛行機を釣っている線が見える。 このホームページでは、上記の類の粗さがしはしません。 |
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