将棋・電王戦についての私見
− その6 −


将棋とプロ棋士への思い



ひねくれた感想です。
偏見が入っていますので、
  あまり攻撃的に読まないでください。



最後のはじめに

  今回プロ棋士と対戦したソフト開発者の方々は、皆様、礼儀正しくて、
  プロ棋士に対して敬意を持って接しておられました。
  プロ棋士のタイトル戦では和服が正装ですが、今回の対戦にあたり、
  ソフト開発者にも和服で臨んだ方がおられたことは特筆に値します。

  このHPではコンピュータやソフトについて悪く書いた部分もありましたが、
  今回のソフト開発者の方々は、尊敬できる方達だったことを
  記しておきたいと思います。


コンピュータ将棋ソフトの性能

このような偏狭な文章を、ここまで読んでいただきありがとうございます。

  さて、電王戦については、ソフトが 「何手読むか」 が関心事でしたが、
  このHPの趣旨ではないと考え、あえて書きませんでした。
  しかし、最後の章で、プロ棋士への思いを書くにあたり、
  不本意ながら数値を書いておきます。

少ないソフトで、1秒間に数百万手。
  コンピュータの性能にもよるでしょうが、1秒間に1千数百万手から数千万手を読むようです。
  最も多いのは、三浦八段と対戦した GPS将棋 で1秒間に2億5千万手です。
  GPS将棋は東大にある670台のコンピュータを接続して事にあたり、
  統合用のコンピュータや、詰み専門のコンピュータも3台あったそうです。
  (注1)


ソフトが、仮に一つの局面で、5通りの手を読むとすると、約12.02手先までで2億5千万手になります。
  また、仮に一つの局面で、10通りの手を読むとすると、約8.4手先までで2億5千万手になります。

   (∵)
      log(250000000) = 約12.02   5の12.02乗=約2億5千万
      log10(250000000)= 約8.4    10の8.4乗=約2億5千万

      log って中学だっけ? 高校だっけ?
      まぁ私の数学力、という程ではなく計算力はこんな程度が精一杯です。


実際には、局面によって可能性のある手を、広げたり絞ったりしているでしょうし、
  1秒で指すことは稀で、数分間は考えることもあるわけです。
  ソフト開発者の言によると20手先ぐらいまで読んでいるそうです。 (注2)

  水平線効果がどうのこうの、という話は専門のHPを参照ください。


第5局では、ソフトの読み筋が公開されていました。
  大盤解説の屋敷九段は 「こんな手まで読んでるんですね」 と言っていましたが
  「こんな手」 というのが、バカバカしいほど無駄な手なのか、妙手なのかはわかりません。

対してプロは何手読むか、というのは前に書いたとおり、
  難し過ぎて、脳の機能が解明されているわけでもなく、何手と明言できないようです。
  そこに神秘性があるわけです。

  今回のプロ棋士の負け越しによって、この神秘性が数値化できる、
  と思われてしまうのが心配です。
  多少なりとも科学の知識、または良識のどちらかがある人達は、こう単純には思わないでしょうが、
  一部のマスコミには、この類の表現が見られるようです。


プロとコンピュータの「読み」 について

全局を通して、ソフトの手として、プロ棋士の読み筋にも無い手がいくつか現れました。
  単に見落としていた、軽視していた、というのではなく
  プロ的には悪い手、あり得ない手、として切り捨てていた手をソフトが指して、
  ソフト側が有利になったケースがあります。

  私のようにプロ棋士に心酔している者にとっては衝撃ですが、
  当のプロ棋士はそうでもなく、

  「こんな手があるのか」 と、むしろ新たな可能性を見出した、
  という受け止め方も多いようです。


コンピュータには、先入観や美的感覚がありませんので、(注3)
  プロが 「筋の悪い手」 として切り捨てていた手を読み、それで有利になったことは
  否めません。

現在の2億5千万手の読みも、コンピュータの性能向上を考えれば
  やがて10億手、1兆手、となるのは時間の問題でしょう。
  そうなれば、プロ棋士の脳でも及ばない。
  この言葉を書くのに逡巡しましたが、やむをえません。


勝負と合理性

人間が将棋を指すとき、どうしても、その人らしい手が出ます。
  私は 「その人らしい手」 を見るのが好きです。
  私のようなヘボでも思わず、おおー、っと言ってしまいます。

将棋の解説を見たり読んだりすると、次のような表現がよく出てきます。

    ・この手で負けたら、しかたがない
    ・前の手の顔を立てて、こう指そう
    ・ここは怒りましたね
    ・次の手は棋風が出そうですね
    ・ここは我慢しましたね
    ・この手は指す気になれなかった


  等々、実に人間臭い表現です。
  勝負である以上、最善手を追求するはずですが、人間である以上、そうとは限らないわけです。
  いいですね、こういうの。

感情のある人間が指すかぎり、数学的な合理性にのみ支配されない世界、(注4)
  感動する所以です。


コンピュータ将棋の意義

勝負から時間がたって、コンピュータは人間を上回ったか、という議論よりも
  これからは、コンピュータを棋力向上や研究に役立てよう、という雰囲気になっているようです。
  それで将棋の可能性が広がり、また一般の方にも将棋の面白さが広がるなら
  それはそれでいいのかもしれません。

  チェスの世界でのコンピュータの役立て方は(注5)を参照ください。

故・米長氏の著書 「われ敗れたり」 の中には頻繁に 「脳みそに汗をかく」 という表現が出てきます。
  必死に考える、ということです。 自分の頭で。

  コンピュータを研究に使えば、おそらく強くなるでしょう。
  それは、陸上や水泳の選手がベンチプレス・マシンを使うようなものだ、とも言えるでしょう。
  しかし、脳みそに汗をかくことは少なくなるのではないでしょうか。
  天才のプロ棋士の考えは、私などの到底及ぶところではありませんが。


悪夢のような未来像

  あるプロ棋士が新手の研究をしている。
  この手が有効かどうか、コンピュータに検証させる。
  コンピュータでの 「擬似的」 な対戦では有効と結論が出た。
  人間同士の対局で、この新手を指して勝った。
  対戦相手は、さらに高性能なコンピュータを購入して、新手の対策を立てる。
  以下、この繰り返し。

  脳みそに汗をかくのは効率的ではないので、自分の頭で考えることをやめてコンピュータにまかせる。
   (実際、一部の人工知能の研究者には、これに類した発言があります。)

  これは、私の下衆な発想です。
  敬愛するプロ棋士がこんな事にはならないと信じます。


人間らしい手

ソフト開発者の方達は 「人間らしい手」 を指せるようにしたい、とよく言います。
  しかし、人間らしさをどのように定義しているのか、
  それはプログラム可能なのか、私は知りません。
  人工知能の論文には人間らしさという指標があるのでしょうか?
  人間らしさを判断する関数があるのでしょうか?
  私のような門外漢にはわかりませんが、きっとあるのでしょうね。

「チューリング・テスト」 というのがあることは知っていますが。
  チューリング・テスト、人工知能、人間らしさについては次の本をお勧めします。

    「機械より人間らしくなれるか?」  (草思社)  定価 2,800円
      著者 : ブライアン・クリスチャン
      訳   : 吉田晋治


将棋は 「読む」 だけではありません。
  構想力が必要です。 (注6)

  ソフトは、果たして 「中座飛車」や、「藤井システム」や、「一手損角換り」 に匹敵する
  戦法をを考案できるでしょうか。
  また穴熊よりも堅い囲いを考案できるでしょうか。


道を究める

プロ棋士の対局では、終局後の両者の態度や表情を見ても
  どちらが勝ったのか、わかりません。
  勝った方も難しい顔をして天を仰いでいたりします。

  私には、局面を見てすらわかりません。

勝者のこの態度は、ひとつには、敗者に対する礼儀があり、
  もう一つには将棋の道を究める、という精神があるのではないかと思います。

剣道には 「打って反省、打たれて感謝」 という言葉があります。
  日本で 「○○道」 と言われるものには、皆、この精神があると思いますが、
  将棋にも同じものを感じます。


再びSFの話から

スタートレックのテレビ版(1966年)のエピソードで、
  例によって人間より優れたコンピュータの話があります。

  エンタープライズ号の指揮をコンピュータに委ねる実験が行われました。
  コンピュータの判断は人間よりも速く正確で、もはやカーク船長は不要かと思われます。
  このとき、カーク船長がミスター・スポックに意見を求めたときの、ミスター・スポックの答えです。

  「コンピュータは人間よりも速く正確です。 しかし、望ましい状況とは思えません。
   船のような組織を支えているのは、船長という個人への信頼であって
   コンピュータが代わることはできません。


  電王戦とも将棋とも何の関係もありませんが、このフレーズが好きなので載せました。


最 後 に

電王戦ついて書こうとしたとき、こんなに長い文章になるとは思いませんでした。
  私は普段からこんなヒネくれた事を考えています。
  また基本的に、好き嫌いを基準に文章を書きました。 全く主観的なものです。
  不愉快に思った方々にはお詫び申し上げます。
  会社の報告書では、このような書き方はしませんよ、念のため断っておきます。

専門家でもないのに物理がどうの、人工知能がどうのと書きましたが
  自分でもよくわかっていないことを書いた、と白状せざるをえません。
    (新聞記者がヒッグス粒子の記事を書くようなものかもしれません。)
  観念的なもので、理論の詳細を理解しているわけではありません。

プロの将棋を見ていると、精神の気高さ、品、そして泥臭さ、執念を感じます。
  素人ながら、コンピュータの論理が勝負師の執念に代わることはない、と信じます。

  NHK杯の将棋は、私の一週間で最も楽しみな時間です。

  最後にもう一度、次の言葉を記して、拙い私見の終わりとします。

  電王戦でプロ棋士は、百年以上にわたる世界中の科学という科学、

  技術という技術の総体とたった一人で闘ったわけです。



  おつきあいいただき、ありがとうございました。



  

(注1)GPS将棋の費用
  国立大学のコンピュータをこんな大規模に使用するのにかかった費用は誰が負担したのでしょうか?
  誰の認可を取ったのでしょうか?
  税金から出ているとしたらか酷い話だ。 ドワンゴが払ったなら仕方ないか。


(注2)何手先まで
  仮に一つの局面で3通りの手があるとして、初手から終局まで100手かかるとすると
  何通りの手があるかと単純計算してみます。

  3×3×3×3× ・・・・ と 3を100回掛け算する、
  つまり、3の100乗=5×(10の47乗)通りの手がある となります。

  1兆が(10の12乗)ですから、
  (10の47乗)というのは、1兆×1兆×1兆×1000億 です。
  これにコンピュータの計算速度が追い付くのはいつでしょうか。
  案外早いかもしれません。

  日本国の財政赤字額は1000兆円だそうです。 つまり、10の15乗円です。
  この額がひと桁上がって、10の16乗円、つまり 1京円になるのはいつでしょうか。
  案外早いかもしれません。



(注3)美的感覚
  NHK杯で、解説の棋士が 「品の無い手」 というのを言っていました。
  例えば、次のような手。

    先手の場合、角交換振り飛車で、
    先手は8八に向かい飛車にした後、桂馬で、後手の8五に伸びている歩を取る。
    後手の同飛車に対して、先手は8七の歩を伸ばしていき、飛車先から逆襲する。
    先手は桂馬の損だが、後手の飛車先にと金が作れれば有利となる。

  居飛車穴熊の対策として振り飛車側の有力な作戦です。
  私は、解説者の言葉を聞いて 「何となくわかる気がした」 という程度です。

  手元の辞書を引くと 「品」 とは、「好ましい、洗練された様子」 と出ています。
  英語では エレガンス にあたるそうです。

  上記の作戦は、「実利さえ上がれば何をやってもいい」 という観点で 「品が無い」
  と表現したのでしょうか?
  しかしこれからは、勝つには品という概念は不要となっていくでしょう。
  国際政治の舞台裏のように。



(注4)合理的
  昔、ある棋士が初手に1時間考えて、端歩を突いた。 相手の棋士は1時間半考えて端歩を受けた。
  という話があります。
  今の感覚ではバカバカしい、の一言ですが、当時は重要な心理戦の一つだったのでしょう。

  現代将棋では、端歩は勝敗を分けるほど重要で、
  「手の無いときは端歩を突け」 という格言さえ、もはや化石です。
  今、将棋の解説でこんなことを真面目に言ったら、プロ資格停止ものです。
  (私が中学の頃は、NHK杯の解説でよく言われていた。)



(注5)コンピュータを役立てるチェスの世界
  チェスではコンピュータが人間よりも強いことは周知の事実です。
  現在、チェスの世界では、人間の対局のとき、並行してコンピュータの指し手が公開されているそうです。
  したがって観戦者は、常に正解手を知っていて、
  「対局者が、コンピュータの示した正解手を指せるかどうか」 に関心がいってしまう、
  という話が出ていました。
  悲しいことです。

  これは役に立っているのか、人間の尊厳を損ねているのか、私にはわかりません。
  技術的に可能であれば、善し悪しを超えて進んでいくのが歴史の必然ですから。
  あまり言いたくないけど、原子爆弾のように。



(注6)構想力
  たとえコンピュータが1兆手を読めるようになっても、構想力が向上するとは考えにくいですから
  人間の考えることが無意味になることはないと思います。

  そもそも1千万手といい、2億5千万手といい、こんなにも読まなければ
  プロ棋士と戦えないということ自体、構想力の無さの証明です。

  さらに言えば、仮に1兆手を読んで得られたものを構想力と呼べるものか?

  この点について人工知能の研究者に話を聞いてみたいのですが、
  ネットで探しても、この話題は見つかりませんでした。
  私の探し方が悪いのかもしれません。
  あるいは、専門の論文でも読まなければならないのかもしれません。




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